2011年6月28日火曜日

3回生 陶芸1 鋳込み技法 05 合評1

遅くなりましたが
鋳込み技法の合評です。

テーマとなる「いつ」「どこで」「なんのために」
のカードを全員で書き込み、そのカードをシャッフルして再分配します。


そして、新たに生まれた「いつ」「どこで」「なんのために」のテーマにあった作品を制作する。

それでは司会の西垣さん
よろしくお願いします。

トップバッターはプレゼンクィーン荒木さんからです。
いろいろな条件を荒木イズムに仕上げる強者です。
トップが荒木さんで次の人はプレッシャーではないのかしら?

「2222年2月22日 家で 人類終焉のために」
人類の生命が終わるとわかったとき
私は何かを残すために、日記をつけはじめる。
しかし、三日坊主で終わってしまった。
結局 いつもどおりの私。
何も変わらない毎日、そして世界

いつもどおりがただ、過ぎていった。

絶対普遍的な数字を作品にしました。


しなやかにピンチを切り抜ける荒木さん
このしなやかさが作品にリアリティーをもたらすのですね。
全てに於いて等身大であるというのが良いですね。

プレゼンクィーンの圧力にやられ気味の皆さん。

次は留学生の鄭 讚恵さんです。
「お昼、野原で インド旅行のために」
旅に出かける!
行き先がインド!!!
太陽の光がさんさんと照っているお昼
心地よいそよ風が吹いてくる野原で、私は腹ばいになって旅のプランを練る〜
何よりもフルーツが豊かなインド〜
マンゴー、アップル、パインアップル、グレープフルーツ
そして、日本で珍しいパパイヤ!!!
インドに行ったら本当に食べれるの?
想像しただけで幸せ〜

パパイヤを型取り、陶器に置き換えました。

かろやかであっけらかんとした作品です。
タイトルにもぴったり合ってるし、
完成度の高さがかろやかさを支えてくれているのですね。
丁寧に作られていてビックリしました。

精華大陶芸コースtwitter(http://twitter.com/#!/seikaceramics)キャラクターの「たろうくん」の生みの親
田中太郎君です。
「四億五千年前に 桜の木の下で 暇つぶしのために」

むかしむかし
まだ地球に
何もなかったころ
まだどこにも生き物がいなかったころ

在るはずのない桜の木の下
この世のすべてを司る全知全能の神がいた
しかし
いくら全知全能の神といえども
自分以外なにもないこの世界
ヒマでヒマでしかたがなかった
退屈でしかなかった
あるとき
神はおもむろに足下の土を握りしめ
七日七晩飲まず食わず
寝る間も惜しんであるモノを作り出した
「角つけたらよくね?」
「腕とかつけまくったらよくね?」
「あれ?これかっこよくね?」
「これ、強そうじゃね?」
「よくねくね?」

こうして地球に新しい生命が
彼らがこの世に誕生したのであった


田中博士やるじゃないですか!
出来が良いですよ。
そして愉しそー

人間に与えられた最も平等なもの「時間」
それを作品のコンセプトにも、制作にもしっかり活かした作品ですね。



陶芸コースの3回生の守護神、河井君です。
「6日後 川で 花見をする」
川の中に花びらが流れている。
桜の花びらだ
6日後お花見に行く約束をしているのに・・・
これ以上散ったら困る・・・
せめて・・・
雨がふらないように、てるてる坊主を作ろう。


陶器で永遠のてるてる坊主を作った。
それをどこかの木のしたに吊しておく
みんなの「晴れますように」という願いを叶えるために




白虎こと遠藤君です。
同級生は彼のことを「遠藤さん」と呼びます。

「もうずっと昔 海のそばで 安心するために」
何かに危険を感じている

自らが消滅することに対する不安

不安を払拭するため世の中のあらゆるものは対応する

それは本能を通り越して現象のように感じる

その現象を掘り下げていくと元素まで辿り着いた

ずっと昔から元素レベルの反応は今も続くであろう

人間はモノを作り出すためには経験が必要である。
新しいモノを作っているつもりでも、それは経験に基づいている。
アーティストに必要なのは、等身大の経験と、それを作品化する思考である。

それは連綿とつづく
そんな遠藤君でした。
最近成長が著しい遠藤君、どこまでのびるのか楽しみです。
「反社会学講座」はどこまで響くのか!



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